鶴屋開店休業回転ベッド

あたしの創作世界の基盤。だけどとてつもなくフレキシブルでヨレヨレにブレてる。キャラが勝手に動くんだ♪

別れても好きな人

渉が美瑛と別れてから二週間。

渉からは誰にも言わなかった。
言いふらして回ることではなかったし
日常に不自由はなかった。
これが高校のときとか、同じクラスだったり
したらこうは行かなかっただろう。
あんまりあっけなく終わったから
渉は正直なところ拍子抜けしている。

その日の夜にでも、美瑛の父である
忍が乗り込んできて自分をボコボコにする
かと思ったが、そんなこともない。

もう美瑛は笑っているだろうか。
そんなことを考える。
都合のいい話だ。
あいつには、幸せにいてほしい。
自分のことなど忘れて。
もっと美瑛にはふさわしいやさしい男が
きっと現れる。そう願った。
多分、自分の後ろめたさを掻き消したいだけだ
そんな風にひねくれた見方をするもう一人の
自分がいる。


「渉。美瑛と別れたの?」
双子の弟は、ほぼ自分たちと同時期に
同じように幼馴染みの鈴とつきあい始めた。
こいつらは、上手く行っているみたいだ。
「ん。別に内緒にしとくつもりはなかった。
わざわざ言うことでもないかと思ってさ。」
「何で別れたか聞いていい?」
「俺に他に女ができた。」
「えっ?!」

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卓は本当に顔面から各パーツが転げ落ちそうな
ほどに唖然とした表情を見せる。
「大学、の?それとも、バイト先?」
「いや、両方違う。」
その先はまだ卓にも話したくなかった。
「そっか。」
卓は気まずそうに目を泳がせた。
「俺は、ずっと鈴とつき合ってきてさ。
今のところ、ややこしいことにはなってないし
別れるのとか経験ないから。良くは分からない。
意外だなとは思ったけど。」
渉はいつにも増して言葉を選びながら慎重に
話す卓を黙って見つめる。
頭ごなしに罵倒するようなタイプではないが
今回のことではこいつに殴られるのも覚悟は
していたのだ。
「でも忍さんが怒鳴り込んでこないな。変だ。」
卓の言う通りだと渉も思った。何故。
「逆に殴られた方が、渉も救われるだろ?」
「そうだな。」
確かにそうだ。根掘り葉掘り聞かずに
軽口を叩いてくれる、卓が渉には有り難かった。

双子の兄弟が渉の部屋で話し込んでいると
ドアのノックの音が三回響いた。
「渉さあ。ちょっといい?」
美月だ。部屋にまで来て声をかけてくるのは
最近そうそうないことだ。何かあったのか。
卓がドアをあける。美月は心配そうな表情で
真っ直ぐ渉の前に歩いてきた。

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「美瑛の様子がおかしいって。瑛子から
何か知らないかって訊かれたんだけど。
渉、なんか知らない?」
渉は顔色を無くしてうつ向き、
卓も申し訳なさそうに目線をそらした。
「なんか、あったんだ。あんたたち。」
「俺が悪いんだ。俺が美瑛を振った。」
美月は言葉を失った。
「美瑛の様子がおかしいって、どんな風に?」
卓が冷静に話を促した。
「食事を摂らないって。大学にも行かずに
部屋に閉じ籠もってるらしいんだ。」
最悪な結果になってしまった。

美月は自分のケータイから瑛子に電話をかける。
「そうだったのかい。あの娘、悲劇のヒロイン
気取りやがって!とっちめてやらなきゃ!」
「瑛子!待ってよ!これはうちの渉が悪いんだ
美瑛はなんにも悪くないから!」
「だいたいそんな大事なこと言わずにいたって
ところが腹立つじゃないか!」
「忍がボコボコにしに行くと思ったからじゃ。」
「…なるほどね。それにしたってバカ娘には
変わりないよっ!!」
「え、瑛子ぉ!」
電話は切れた。

「なんか瑛子が怒っちゃってる!」
「どうせ殴られるなら、自分から行くよ。」
渉は立ち上がり、出掛ける用意をはじめる。
「いや、瑛子は内緒にしてた美瑛に怒って
るんだよね。あんな方向に火が着くとは
思わなかったよ。あーもう!美瑛が心配だから
母さん行ってくるよ!」
「俺がいくからいいよ!」
「渉が行けば瑛子はともかく、忍に殺られる。」
「それでもいいよ!!俺が悪いんだから!」
一歩も引かない渉を見て美月も諦めたようだ。
「あんたが死ぬ前にはドクターストップ
かけてやるから。安心しな。」
「頼んだ。」

美瑛の家の呼び鈴を鳴らすと、玄関から出てきた
のは忍だった。
「何のつもりですか。」
「いや、瑛子が美瑛を叱るようなこと
言ってたから。気になって。」
「あなた方のことはしばらく出禁にします。
落ち着くまでは、美月さんにも来てほしく
ない。お願いですから、そっとしておいて
ください。」

家の中から美瑛の声がする。
「駄目なの!忘れなきゃいけないのに
忘れられないの!!」
渉は鳩尾をナイフで刺されたような痛みを
感じて息苦しくなる。

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「このバカ娘!そんなこと考えてたのかい。
忘れられるわけないだろう。」
「ママ…」
「好きなんだろ。別に好きでいるまでは
自由なんだから。会えなくったって好きで
ずっと思い続けていればいい。」
「ママ…あたし」
「気のすむまで、好きでいていいの。誰にも
迷惑はかけないんだからね。」

忍は初めて口元をゆるめて美月に言った。
「瑛子とは長いつき合いなのに、なんの心配
ですか。うちのに任しといて下さい。」
「違いない。済まなかった。」
忍はまた口元を引き締めて渉を見る。
「一発でいいよ。殴らせろ。それで忘れてやる。」


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「だいぶ手加減してくれたと思うよ。」
渉はまだ足元が覚束ない。

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渉の左頬は腫れ上がり口の中は切れて赤黒い。
「でも意外だったよ。あんたが他の女の子に
なんてね。どこで知り合ったの?」
渉は黙りこむ。美月は答えてもらおうとも
思っていなかったので、もう晩のおかずの
話でもしようかと渉を見た。
「蒲生先生だよ。」
「え。何が?」
「俺の新しい女。」
「?」
「もう離婚したから、蒲生先生じゃないか。
浅海は。村雨先生。」
美月は驚きすぎて右足と左足を出す順番が
わからなくなって歩く足取りがもつれて
しまった。よろけて倒れそうになったところを
渉に支えられる。

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「大丈夫か?気をつけろ。」
「や、いや。わ、わた、」
「息子の名前くらいちゃんと呼べよ。」
「村雨さんて言ったら、彼女はもう38…」
「年齢なんか関係ないよ。」
美月には浅海のことを語るときの渉の顔が
とても大人びて見えた。今まで見たこともない
表情をしている。
「そう。そうだね。なんか見ててわかる。
あんた、今、イイ顔してるよ。」
「こんな殴られて歪んだ顔がかよ。」
美月は笑った。あんただって殴ってもらって
胸のつかえが少しは取れたろ?と図星をついた。