和解
「浅海先生!待って待って!」
土曜の放課後、帰ろうとすると
こう呼び止められた。
優子が事務室から玄関に出てきて
パタパタと駆け寄ってきたのだ。
「浅海先生にお客さんなんだけど。」
優子が浅海を引っ張り、正面玄関の柱に身を寄せ
ガラスの扉に少しだけ顔を出して外を指差す。
「あの男の人。昔の男だなんて言って
名前を教えてくれないんです。」
浅海はビックリしてなかなか言葉が
出なかったのだが、すぐに優子の肩に手を乗せ
微笑んだ。まあ、ぎこちない顔だったのは
自分でも十分自覚はあった。
「なんであの人ハッキリ言わないのかしら。
前の亭主よ、あれは。心配しないで。」
優子は怒ったようなホッとしたような
疲れたような複雑な表情から笑い始めた。
「んもう!何かと思いましたよ!」
雅也が浅海達に気づいて近づいてきた。
「よ。浅海。」
相変わらずやんちゃな笑顔である。
応接が空いていたので優子が通してくれた。
「顔が見られたからもういいよ。」
雅也はお茶まで出してくれた優子に
再三辞意を表したが、諦めてソファに座った。
「いきなり、なに?」
浅海は雅也を懐かしくは見ていたが
正直そんなに会いたいとは思っていなかった。
「お前が俺と別れて、幸せになってくれるか
それだけが気がかりだったから。」
「それ以前にお互いあんまり会わない方が
幸せになれると思うんだけど?」
「浅海。」
「あなたも、幸せになってよね。」
「もちろん。」
雅也が答えた。その表情から浅海はだいたいの
ことを読み取ることができた。
「彼女が出来た。で、セックスが気持ちよくて
たまらない。って顔。」
雅也は慌てて顔を厳めしくしてみたり
眠そうにしてみたりしている。
「いや。そういう言い回しは失礼だろ。
なんか俺がセックスのことしか考えてない
みたいじゃんかよ。」
「あら、違ったんだ。あんたと知り合ってから
20年以上経つけど、はじめて知ったわ。」
「浅海。」
「何か、用があるなら早く言いなさいよ。」
「妊娠、おめでとう。」
「え?」
「こないだ美月に偶然会ってね。あいつ顔に
出るからさ。嘘がつけない。少しゆさぶり
かけたら簡単に吐いたぞ?」
「ひどいわ雅也は。美月先生に何か言ったの?」
「大丈夫だよ。気持ちはわかってくれたと思う」
浅海は美月が雅也に強く言われて
黙っていられなくなった様子を想像した。
相変わらずこの男は、あの頃のように純粋で
荒っぽい目をしていたのだろう。
「あたしは、今、最高に幸せよ。」
浅海はやんちゃでかわいい男を突き放すように
思いをこめた。
「ごめんな。」
「どうして謝るのよ」
「いや、お前が幸せになれる相手は俺じゃ
なかったのに。長いこと縛りつけたなって。」
雅也はたまにこんなことを何も考えずに口にする。
ズルい。たまに、優しいのはすごく。
「ま、あんたもいい彼女が出来て良かった
じゃないのさ。」
雅也はあまり話を聞いていないようで
浅海のおなかをのぞきこんだ。
「さわっても、いいか。」
「まだ動かないわよ。」
「あやかりたい。」
あんまり雅也が真面目な顔で言うので
浅海は笑ってしまう。
「そうね。あんたが種無しじゃないことを
祈るけど、なんかご利益がありますように。」
雅也の大きな手のひらが、浅海のおなかに
優しく触れる。とてもあたたかかった。
「無事にかわいく生まれてこいよ」
「え!前の旦那さん?」
浅海は隠すことでもないので
渉に晩御飯を食べながら全部を話した。
「おなか、さわっていった。」
「へえ。そう。」
渉は気になるけど気にしていない風に装う。
「渉。愛してるわ。」
浅海は食べ終わるとすぐに渉にキスした。
「おい。浅海。」
「あん。抱いて。やさしく。」
「もちろん。もう。愛してるよ浅海。」