鶴屋開店休業回転ベッド

あたしの創作世界の基盤。だけどとてつもなくフレキシブルでヨレヨレにブレてる。キャラが勝手に動くんだ♪

なんも言えねぇ

「ええと。美月?」
夜、残業で帰りの遅くなった亮が
キッチンでお茶漬けをすすっている。
美月は梅干しと昆布の佃煮を小皿に出すと
おずおずと亮に差し出した。
「もう一回言ってもらっていいかな。」
「ん?だから。彼女が妊娠したの。」
亮は佃煮をひとつまみ口に入れて
またお茶漬けをすする。
「食べちゃってからゆっくり話しよう?亮。」
「お気遣いは無用。で?」
「で?って。」

f:id:sinobusakagami:20160322023259j:plain


あー。怒ってるなあ。
美月はちょっとした修羅場になる
予感がしていた。
無理もない。幼馴染みの女の子を振って
17歳も年上の女に走ったあげく
妊娠させたのだ。
渉はまだ大学三年生だ。
生活力はないし、まだまだ親の脛をかじって
生きている立場なのだから。
父親の亮が怒るのは無理もない。
「彼女は、ひとりでも産むって言ってた。」
「そうか。渉は?」
「それは、あいつからあたしたちに話してくるの
待とうと思うんだ。多分すぐ来ると思うよ。」
亮が梅干しの種を小皿に戻す。ころんと
可愛い音をたてた。
「不始末だって自覚は持ってもらわないと。」
亮は案外と古風なところがある。
やっぱり昭和生まれの男だなと美月は思う。
出来ちゃった婚とかいう言葉が生まれた頃、
納得いかなそうに眉間にシワを寄せていた。
かといって一方的に反対するだけでもないのが
この男のカワイイところなのだけど。
「その彼女だって、ひとりで産むとかいうけど
そんな簡単なもんじゃないじゃないか。
俺たちだって色んな人に助けてもらったし
何が起こるかわからない。」
「そうだよね。」
「渉にもその彼女にもさ、
わかっといて貰いたいんだよ。子どもは
みんなで育てるものなんだって。」
「ん。そうだね。ほんとに。」
「だから、きちんと夫婦として自活して
人付き合いも出来るようになってから
子どもは作って欲しかったんだ。」
美月は亮に惚れ直しながらも、渉を目の前に
して余計な感情から激し過ぎぬようにと
諭すように話し掛ける。
「関係ないことを引き合いに出して叱りつける
のは逆効果だし、亮の本当に伝えたいことは
伝わらないよ。話すときは落ち着いてね。」
「わかってるよ。」
亮は笑いながら美月にキスした。
「なに、急に。」
「なんかあんまり心配そうにするから。
可愛くて、ついね。」






翌日の夜。帰宅した渉は美月に
話があるから父さんが帰ってきたら
聞いてほしいと言ってきた。
「浅海のこと。色々助けてくれてるみたいで
ありがとう。」
「礼には及ばないさ。あたしにだって
かわいい教え子なわけだしね。」
もう帰宅して夕食を済ませていた卓が
台所にやってきた。
「あ、渉おかえり。珈琲飲む人~?」
「はーい!飲む飲む♪」
「俺も貰うな。」
珈琲を淹れるのも飲むのも好きな卓が
豆から挽きはじめる。
香ばしい薫りが鼻孔をくすぐる。
「渉は今夜も彼女の手料理食べてきたの?」
「いや、今日はさっきまで働いてたんだよ。」
渉は家庭教師のバイトが楽しいらしく
積極的に仕事を入れてもらっている。
「じゃ、晩御飯は?」
「生徒さんちでケーキご馳走になっちゃった。
ちょうど珈琲貰うし、トーストでも食べるよ。」
「じゃ、ハムエッグでもしてやろうか。」
「頼むよ。」
美月は立ち上がり、台所で珈琲豆を挽く卓と
並ぶ。湯を沸かすやかんの横で、フライパンを
火にかけた。
「なんか最近渉と仲いいじゃん?」
卓が美月に小声で話しかけてきた。
「ようやく、反抗期が終わるのかな?」
美月も小声で答える。
「新しい彼女と上手く行ってるからかな。」
「美瑛との時とは少し違うね。確かに。」
美月はフライパンにハムを並べ、卵を割り入れる。
「トーストにバターは?」
「いらない。」
テーブルでひとり待つ渉の顔は穏やかで
やさしくて強い一人前の男の顔だった。
「ねぇ。あんたは鈴と、どうなの?」
美月は次男に話を振る。
「どうなの?って、何がさ?」
俺たちは仲良くやってるよ?と
屈託ない笑みを浮かべて応じた。
沸いたやかんの湯を少しづつ
落としながら珈琲を淹れる卓。

f:id:sinobusakagami:20160322023348j:plain


「あたしは珈琲淹れるの下手だなあ。
このチビチビお湯を注ぐのが出来ない。」
「俺は焦らすイメージで楽しんでるよ。」
「卓って、わりとエロい?」
「何がだよ!」
美月はお皿にレタスを敷きハムエッグをのせた。
トースターがチン!と軽やかに鳴る。

「ありがとう。」
美月は最近の渉からこの言葉をよく聞くように
なったなと思う。
今までの渉は何をしてやっても
何も言わなかった。
「珈琲お待ち!」
「卓、サンキュ。」
「うわー良い薫り。」
三人でテーブルに座る。
「卓は将来カフェとかやれば?」
美月は本当に美味しそうに珈琲を飲む。
「そうだなあ。でもやっぱり雇われる方が
気楽だよ。珈琲は完全に趣味。」
玄関で亮の帰宅した気配がした。
「お帰りだよ。一家の大黒柱が。」
美月は嬉しそうに立ち上がり、リビングを出た。
「ほんとに、あの人たち仲いいな。」
卓は半分あきれて笑う。
「結婚して22年も経つくせにな。」
渉も穏やかだ。
卓はやっぱり渉の中で何かが変わったのだと
思う。それだけ今の彼女との仲が安定している
のかなと考えていた。
最近の変化と言えばこれに尽きる。
確かにあれから渉は変わったのだ。


f:id:sinobusakagami:20160322023413j:plain


「渉。父さん帰ったよ。」
渉は頷くと卓に言った。
「卓にも聞いて貰いたいんだ。お前には
何にも話してやってないもんな。」
「何の話?」
「聞いてりゃわかるよ。」
亮が部屋着に着替えてリビングに入ってきた。

家族四人、テーブルに差し向かい座る。
四人全員が揃う機会はそんなにない。
美月は亮にビールと冷奴を出して
自分も隣に落ち着いた。
「話って?」
亮は決して楽しそうに笑ってはいない。
「俺が美瑛と別れた話は聞いてる?」
渉にしては丁寧な話し方だ。
話をはしょらずに一から説明する気らしい。
「ん。卓と美月から。聞いたよ。」
「美瑛には悪いことしたけど。
他に好きな女が出来て。だいぶ年上なんだけど
俺がきちんと就職きめたら結婚したいと
思ってるんだ。」
渉は澄んだ瞳で父の目を真っ直ぐに見詰めている。
亮は少し照れ臭くなってビールを飲み干した。
空になったグラスをいつまでも眺めているわけ
にもいかず、顔を上げてまた渉を見た。
「で、俺はまだ大学三年だしもう少し先の話
のつもりだったんだけど。」
さすがにそこで渉も目線を外した。
卓の淹れてくれた珈琲で口を湿らせた。
「彼女が、妊娠したんだ。」
「えええっ?!」
叫んだのは卓だけだった。
美月も亮も顔色ひとつ動かさない。
「彼女は一人で産むとか言ってるけど
そうはいかないだろ。産むのも育てるのも
並大抵のことじゃない。かといって俺が
どれ程のことができるかって、たかが知れてる
けどさ。学生で脛かじりの分際で言えたもん
じゃないけど、結婚したいと思ってる。」

f:id:sinobusakagami:20160322023443j:plain


卓はまだ驚きすぎて目をキョロキョロさせて
渉と亮、美月の顔を代わる代わる見ている。
「なるべく父さん母さんに迷惑かからないように
するけど、実際はいろいろ助けて貰うと思う。
お金だって借りるかもしれない。
でも俺はバイトもするし、大学やめて働く」
「大学はやめるな。」
亮が渉を遮って口を開いた。
「自分がどれ程の不始末をやらかしたか。
その自覚はあるのか。」
あくまで冷静に話す亮。
隣では美月が寄り添って亮のひじにちょこんと
触れている。
「わかってます。申し訳ありません!」
渉はテーブルに額を打ち付けそうな勢いで
頭を下げた。
「その彼女のためなら、何だって出来るってか。」
亮のグラスに美月がまたビールを注ぐと
亮は一気にそのビールを飲み干した。
「浅海との結婚、許してください!」
「本当に彼女もお前で良いって言ってるのか?」
「えっ?」
渉が思ってもいなかった冗談に、どう答えて
良いかわからず目をパチクリさせる。

f:id:sinobusakagami:20160322023509j:plain


「渉。なんか、お前変わったな。」
「父さん。」
「あっという間に逆ギレして、場をひっくり
返して駆け落ちでもするかと思って冷や冷や
してたんだ。」
「いくらなんでもそんなことしないよ。
俺ひとりのことならともかく。」
「今度彼女も連れてこいよ。美月はよく
知ってるみたいだしな。」
そこで卓はまた驚いた。
「なんだよ母さん!渉の彼女知ってんのか?」
全部話を聞くと卓は逆に真顔に戻っていた。
驚くのにも疲れたみたいだった。